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愛媛県新居浜市の学習塾・自立学習教室 明聖塾

代表のひとりごと

塾を始めた経緯


私が明聖塾 代表の大田邦廣と申します。今年67歳になる1949年生まれです。この年齢になりもう一度塾業界に戻った心境をお話しします。

大学卒業後、父親が大病になりました。私は親孝行したく思い、東京でビジネスマンをやっていたのですが、故郷に戻り塾を始めました。それは昭和50年で私は25歳でした。

時代は高度成長期で、塾業界の黎明期でした。最初は普通の塾と同じように、学校の授業に合わせて指導していました。生徒も100名位になり、当初の生活のための問題も解決しました。


時間的に、また経済的にも安定し、
さて“本気で教育を考えた時”、
単純な疑問がありました。         


当時の教育の問題点


“何故、小学校や中学校の学校の授業内容が満足にできない生徒が存在するのか?”

“文部省の指導要綱が間違っているのではないか?”

“学年、学期ごとに色々な単元を教えるから、忘れたり完全に身に付かない状態で
学年が進み、分からない生徒が発生するのか?・・・”

”例えば、中学生理科の第一分野(化学)なんて、
気体の発生からイオンまで4時間あれば指導できる・・・”

分野別に教えた方が、完全に身に付くのではないか?

“公文式の指導だって、代数部門の「数のはじまり」から、「微分・積分」まで
分野別に通して指導するから身に付く
のではないか・・・”



実験(シュミレーション)


新中学1年生を、学校の授業と関係なく、指導を実験的にやってみました。

成功しました。

そのクラスの一番良くできた生徒が、学校でも1番になり、高校入試の時、県内でも1番だったようです。その生徒は東大に入りました。他の生徒たちも全員トップレベルの生徒になり、高校に行っても難関大学へ入学したようです。


評判が良くなるということは、
低学力の生徒の入塾希望が増えるという問題が発生します。

低学力の生徒は
分かり易く教える指導と、
忘れないようにする指導がセットになるのですが、

“覚えられない”というのは
記憶力だけの問題ではなく、
勉強に対する姿勢や考え方に問題がある場合が多く、
それを指導するには、一斉指導だけでは無理なので、
個別指導の方法しかありません。



出会いと研究、開発


丁度その頃、自立指導の元祖である佐々木慶一氏と知り合いになりました。2年位行動を共にしたことにより、理想の自立学習に向けての個別指導の本当の意味を分かったような気がします。私は今までに天才と思える人に5人会いましたが、佐々木氏もその一人です。

その後、塾名を明聖塾と改め、個別指導に合う教材作りをし、小・中・高校生用としてペーパー枚数でいえば5万枚位作りました。そして、指導システムを完成させました。その教材、指導システムを導入した塾が400校位できました。

平成8年頃、今までの経験では指導できない生徒が現れ始めました。代表的なのは、ゲーム脳と当時は表現していましたが、コミュニケーションがどこか不自然な子供たちです。これは、脳の研究をしないとわからない・・・・

人間が万物の霊長と呼ばれているのは、大脳の表層に神経細胞が発達したからです。特に前頭部にある“前頭葉”または“前頭連合野”といわれている部位が非常に発達しています。

ところが、動物脳から前頭葉に入る入口にある“眼窩前頭皮質”という部位が、過保護、または放任により未発達だと、相手の気持ちを読み取る能力不足から、コミュニケーション下手になり、登校拒否が発生します。何とか登校拒否に至らなくても、このタイプはストレスに非常に弱く、社会適応能力が弱いためニートになったりします。

コミュニケーションが上手にできない人は、何十万人もいます。高学歴の人にも多数います。こんな人は、知識があっても重要な地位を築くことができません。眼窩前頭皮質の未発達は、一生を左右します。直し方を知らないのです。

私は前述のように平成9年頃、脳に興味が湧き、学習塾の業界を退きましたが、

未来ある子供たち (私から見ると孫たち)
がかわいそうだと思い、
自分が知っていることで役に立てたらと、


20年ぶりに塾業界に復帰することにしました。

その大きな理由は、塾も含めて、教育界の人々は、世の中を知らなすぎるからです。
教育業界は未だに偏差値教育
です。偏差値教育は一言でいえば、合格するところへ誘導する教育です。

昔のように、社会が右肩上がりの時代なら、何学部を出ても仕事がありましたが、

今は、例えば、京大の文学部を出ても教師以外に
仕事がありません。


時代が高度化し、多様化しているため、新しい職種は発生していますが、教育業界の人はそれを知らな過ぎるのです。


大学を出ても40%弱は派遣の仕事
など、かわいそうな状況です。

もう一つの理由は、

悪い電磁波、重金属の影響で、頭も体も弱い子供が多く、
また、自然界に存在するルールや歴史から学ぶ
本当の教育ベースが弱く、
自信が持てない子供が多過ぎる
ことです。


明聖塾のコンセプト

“大人になってメシが食える”指導方法として、
学力に加え、人間力も身に付ける塾と、
明聖塾という名で復活しました。


◇正しい自立学習ができる個別指導
◇脳科学に基づいたムリをさせない指導



これが明聖塾のコンセプトです。 



今年の決意


去年(2017年)から、明聖塾で行っている明聖メソッドを使った、IQを上げたり、国語力を上げる指導を、依頼された、または、知り合った塾、8塾に教えました。


困っている塾が多かったのですが、その原因は、指導が甘かったり、同業の強力な塾が隣接したりして、自塾の生徒が減少し、不安になり、経営が悪化し、自信を喪失して、体の元気もなくなり、生徒の指導も自信を失い元気のない指導に……。そんな悪循環に陥っている塾が多かったようです。

塾長さん達の相談に乗り、冷静に現在の分析をし、今現在できることを明示し、明聖メソッドを入れて3ヶ月で教室のムードを変えることから始めました。

その結果、どの塾も生徒が増え始め、塾長の自信も取戻し、正常な塾経営をされています。新学期に入り、新規生の入塾を嬉しそうに報告してくださると、こちらも嬉しくなります。

私ももうすぐ69才になるので、このメソッドを使って、一人でも多くの子供の可能性を伸ばしてあげたいとの思いから、明聖メソッドの普及を決意しました。

明聖メソッドの1つが、特殊周波数入りCDである”太古の記憶”CDです。これは脳を整えるのに有効であり、人間が本来持っているエネルギーを取り戻すのに役立つCDです。

今まで何千枚も販売し、多数の喜びの声が多数届いています。


                                  


もう一つ、身近な変化がありました。
私の妻のことです。


妻が6年ほど前から、難病指定であるパーキンソン病に罹りました。
60代での発症です。やりたいことも沢山あったはずです。

その後進行し、昨年、要介護4まで進みました。

要介護4とは、身体を動かすことができないので、ほとんど自分では何もできない状態です。

私は「太古の記憶Ver.3.0.」を毎日自宅で流していました。
妻も気に入っているようです。

今では生きる希望を取り戻し、
表情が穏やかになった様に思います。



こんなことがベースにあったのと、世の中のお役に立つ仕事をとの思いから、5人に1人といわれるグレーゾーンを含めた発達障害の子供を救うため、明聖メソッドの普及を決意しました。



明聖塾 技術顧問 伊川茂樹氏との出会い


塾を長年やっていると、従来の経験則の指導では解決できない問題にあたります。
今から20年程前、私もその壁を乗り越えることが出来なくなった時、
伊川茂樹氏と出会いました。

『困っている人を救いたいと思うあたたかい気持ちは誰でも持つことができるが、
 それを実際に役立つようにするには、技術や工夫がどうしても必要』

この点に共鳴、共感して、伊川氏と長い付き合いが始まりました。

今まで、速音聴やディープリスニング、特殊周波数入り音楽CD“太古の記憶”等、
色々なソフトを作るのに協力を得てきましたが、今回、“復活 明聖塾”の技術顧問として、
また、明聖塾の一員として協力、参加に至っています。

以前『月刊INTERVIEW』という雑誌に掲載された彼のプロフィール等文章を載せておきます。

                                       明聖塾 代表 大田 邦廣
   

伊川茂樹氏について


特殊音の録音技術を習得
『倍音』の録音に成功


?伊川茂樹氏のインタヴューより


僕は『倍音』という特殊技術を、
宇宙物理学者である佐治晴夫氏との出会いによりヒントを得て、
まるで、生でコンサートを聴いているかのような、
「肌で感じる音」をCDに録音する技術の開発に成功したんですよ。


 ※佐治晴夫氏:
  NASA客員研究員。宇宙探査機ボイジャーに地球からのメッセージとして
  バッハの音楽を収録搭載することの提案や地球外知的生命探査プロジェクトにも
  関わった方です。




脳活性化CDで潜在脳力UP!


このCDの音を聴いていると
『脳を目覚めさせ、本来脳が持っている能力を、元のより優れた状態に戻す』
ことが可能になるということなんです。



バリアフリー音楽を開発
音楽ディレクター 伊川樹氏茂 プロフィール



1956年 誕生
1980年 名古屋工学院専門学校電子工学科卒業
1982年 日本福祉大学社会福祉学部卒業
2005年 大阪芸術大学通信教育学部放送学科卒業

受賞歴
1993年 (財)日本宇宙少年団より特別賞(社会福祉賞)
1994年 日本アマチュア無線連盟表彰(無線技術の福祉利用)
2004年 西条ロータリークラブ表彰(理科教育)





僕は、難産で誕生した際に、へその緒が首に巻き付いて脳への血行が止まり、
その後遺症で重度の脳性小児麻痺となって
言語発生と右手・右足の障害を抱えることになってしまいました。


生まれながらの障害のため、中学1年生までずっと寝たきりで、
全ての情報を耳で聞くしかなかったことから、
人が発する音からその人の心の内まで感じ取ることができるようになり、
更に普通の人には聞こえない音を聴くことができるようになっていったのです。
普通の若い人で20ヘルツ?20キロヘルツまでの周波数ですが、
僕の場合はそれをある程度超えた音域でも、直接耳で聞き取ることができるんです。


耳の不自由な人達にも音楽を楽しんでいただけないか、
一般の人達と一緒に…
という発想から、一般聴衆に全く違和感を感じさせない仕組み
(鼓膜でなく体や皮膚で感じる音(重低音)唸り現象を利用したもの)
などを考案して大成功しました。




『倍音』使用などを考慮して、一般の人でも
「指で耳の穴をふさいでもピアノの音が聞こえる感覚」を
体験していただきました。
耳元で話しかけないと聞こえないお年寄りの人達にも
十分音楽が届いたとのことで、
高度の難聴という103歳の女性にも
「とてもよく聞こえ楽しめました」
と満足そうに言われ、大変喜ばれました。





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